ゲーム開発そのものの物語化。開発者とプレイヤーの関係
プレイヤーとゲームの関係、プレイヤーの自由とは?「物語」の脱構築 - 物語とインタラクションの在り方、作り手の意思とユーザーの意思。
「オープンワールド」系なやつ。元は開発者の物理シミュレーションプログラミングに関するトレーニング向けとして作られたのが、プレイ動画に反響があって販売に至ったらしい。
最初はただヤギをいろんなところにぶつけて遊ぶのだったのが、mod文化みたいのがあって公式・非公式含めていろいろバージョンアップされたりしてる模様。
- 演算そのものがゲームである(と言える) - minecraft
- コミュニケーションそのものが - マルチプレイオンラインRPG、Second Life
最近興味があって見たりしてみてる。
https://youtu.be/2JO1nVS_YYk?list=PL1Z1KdfmKuea9p_4VLEtaEbLQ81mFJubZ
実際のストーリー内容は順列都市かよみたいな内容(嫌いじゃないけど)。..にしても最近のゲームってすごいんだな..という印象。
多くの人もコメントされてるけど他の実況動画系無意味にハイテンションだったり喋り方がキンキンしてる感じで辛いのが多い。声が渋い(の割にはリアクションが激しい、のギャップも良い)。
- 起源?について
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20131102003/
実況動画と等価な行為はインターネット以前からあった。誰かの家に集まってファミコンをやる(のをみんなで見る)、etc.
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FPS = 一人称視点の完全な共有、「視点」について。視界の外側についての関心。
ニコ生の弾幕コメと実際のヤジや歓声
Oculus RiftのようなVR系・AR系ツールがより普及したらさらにどうなる?
人が遊んでいる様子を見る、物語の多解釈・体感時間の差異(個人の指向、没入度の違い)
テクノロジーよる体験の同化 <-> でもオープンワールドは多解釈の許容?
時間芸術、ゲーム内の仮想時間。ほとんど映画、あるいは副音声解説付きの映画。映画における実験、小説における実験。 - いろいろありそう。単にビデオゲームで同じことが行われている?が、ゲームには少なくとも一人はプレーヤーが存在するはず、その違いは?